ぽすと第254号 (医療法人 ぽすと会 クリニックいのうえ発行)

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写文集 『for JUN 』
       あるゴールデン・レトリーバーと過ごした日々
 に寄せて   井上 勝六


おぼえているかい
山の斜面を駆け登り駆け降りた時のことを
もう疲れたとは決して言わなかったね

おぼえているかい
急流に水しぶきをあげて飛び込んた時のことを
流されながらも向こう岸に渡りきったね

おぼえているかい
一緒にキャッチボールをした時のことを
どんな投げ方しても名キャッチャーだったね

おぼえているかい
落とした手袋を探しに行ってもらった時のことを
喜んで走って行って探してきてくれたね
そんな若かった君が好きだった

おぼえているかい
山の斜面をゆっくり登り足元を確かめながら降りてきたね
急流にそっと入って一生懸命泳いでも流されてしまったね
キャッチボールはエラーが多くなって寂しそうだったね
それでも落とした手袋だけは確実に探してきてくれたね
        
     ●
そんな老いた君が大好きだった   (
印 筆者追加)

●記事全文

 これは写文集『for JUN あるゴールデン・レトリーバーと過ごした日々』の冒頭の詩である。JUN(ジュン)とは「淳一郎」と名付けられたゴールデン・レトリーバーの愛称で、彼はこの1月下句、11歳と8カ月の生涯を終えた。彼と日々を共に過ごされた入江夫妻は清里でゲストハウス・バーネットヒルを営まれ、我が家はもう十数年のお付き合いをさせていただいているだろうか。自然写真家の西村豊氏は、この本の帯文に入江夫妻を次のように紹介された。
 「私の知っている人達の中で、動物たちと共に暮らす人は多い。でも、この入江さんのように、これほど動物たちと自然に家族として暮らしているご夫婦を私は他に知らない。きっとお互いに姿形や言葉は違っていても、心が通い合う幸福な家族だと思う」と。
 西村氏がいみじくも言われたこの「心が通い合う幸福な家族」の姿は、ページを繰れば読者には直ちに納得されよう。実際、私が知っている範囲でも、入江一家は様々なコンパニオン・アニマル(伴侶動物)と共にすごされてきた。我が家が最初にバーネットヒルを訪ねた時、もちろんファミリーの構成など知るよしもなかったが、チェックアウトの際、機を窺っていたコリーのフレップ、三本足の雑種のメイ、そして猫のチニタが先を争ってフロントに飛び出してきた。まだ部屋にいた娘たちを呼びにいった際、「目を閉じていて」といったのは、突然の驚きを味あわせてやりたかったからだった。「触ってごらん」と言われてフレップやメイに触れた途端、歓声をあげた彼女たちはもう目を閉じていられなかった。「出発の時間だから」と何度も催促されて、娘たちはやっとフレップたちに別れを告げたのだった。フレップたちのインパクトは相当強かったらしく、ちょうど思春期を迎えややこしく難しい年ごろの娘たちだったが、「今頃フレップたちどうしているかな? また会ってみたいね」などという妻の言葉は、干天に慈雨のように娘たちのすさんだ気持ちを和ませてくれた。彼女たちにとってフレップたちはまさに「セラピードッグ」(癒し犬)だった。
 私たち夫婦はある年の冬の日、チニタを除いた入江一家に雪の八ツ岳牧場ヘビクニツクに誘われたことがあった。快晴とはいっても厳冬、雪の上を吹き抜ける風は冷たく痛い。ラッセルしながらたどり着いた雪原の真ん中で、沸かしたコーヒーと共に昼食をいただいたが、老犬のフレップが新雪をけちらして走る後を三本足のメイは体を揺らして懸命に追っていた。メイの足が一本無いのは電車に轢かれたからだが、半死半生で倒れていたところをたまたま通りかかった(入江)良雄さんに発見され家で手当てを受けた後家族の一員に加えられたのだった。
 ジュンが入江家の一員になったのは生後20日目、何故そんなにも早く親元から離されたのか?それは入江家のウサギ達やチニタが恐がらないよう、小さいうちに慣れさせようという配慮からだった。実際、入江家に伺うと、犬、猫、ウサギなどが仲良く暮らしているのが日常だったし、見慣れてくるとそれが当たり前という錯覚につい捉われた。なら我が家でもと真似してみたが見事に失敗、犠牲になった動物たちには本当に申し訳ないことをしてしまった。例えば、入江家から譲っていただいたウサギのセサミ(雄)は、入江家と同様、私の膝に乗ったり炬燵に入ったりと一緒に家の中で暮らしていた。しかし座布団はまだしも電気のコードを齧るようになって、仕方なく囲いのある庭で放し飼いにしたが、ある朝彼はいなくなっていた。ブロックのわずかの隙間にセサミの毛がこびりついていたのだった。入江家で可愛がられて育ったウサギを失跡させてしまって、多分野犬か何かに・‥と、私たち夫婦はその件をなかなか伝えることができなかった。
 「あら、旅に出たのね。今頃はきれいな花の傍で彼女と一緒に幸せにしているわよ。きっと」
 ある時、やっとの思いでその件を告げた際、(入江)須美子さんはそう答えたのだった。そんな返答に私たちはどれほど救われたことか・・・。
 アヒルの子をベランダで飼った時は、ドアを締め忘れた一瞬の隙をついて飼い犬のレアが襲いかかった。犬小屋を嫌った柴犬のレアは台所を住みかとしていたが、いつもベランダの気配を気にしていた。入江家の動物たちとは明らかに雰囲気が違っていたから、一緒には暮らせないなと思っていたのだが・・・。
「バカ、バカ、バカ」と、妻はレアの頭を泣きながらスリッパで叩き続けたが、叩かれる理由を理解できなかったのだろう、レアは身を縮め怯えた目付きで私に助けを求めていた。

 「この人とやっていけるのかしら、と(須美子は)悩んだ。だが、何故か現実離れしたこの人(良雄)に魅かれたのだ。いつかデートし たとき、時間に遅れてきた。理由を聞くと、目白の駅の近くで猫と立ち話をしていて遅くなった、と言った。その一言で不機嫌はなおった。猫と立ち話出来る人ならいいや、そう思った。」(早瀬圭一『転職』より)

旧約聖書に出てくるソロモン王は、動物と話ができる指輪を持っていたという。入江夫妻の指にはもちろんそんな魔法の指輪はないが、彼らの心にはそれがあったのだろう。でなければ動物たちとのあのような共同生活は成り立つはずはあるまい。そんな指輪の力は自然にジュンにも伝えられ、幼いときはやんちゃだった彼も人間の子供や小さな生きものに対して大変優しい成犬になった。アヒルの子や子ウサギは彼の背中に乗って遊んだし、昼寝をする彼の傍にリスや小鳥たちも集まってきた。タヌキに似た雑種の卯月は、生後すぐに捨てられたところをジュンに発見され、入江家の一員に加えられた。もちろんジュンは人間の言葉は理解できたから、彼と出会って動物好きになった子供たちは多かった。 私とジュンとの交流は水のような淡い交わりだった。訪問時には飛び付くように挨拶してくれたが、いつまでもべタベタするようなことは決してなかった。食事やおしゃべりの際、テーブル下の床にゴロンとなって太い前脚のどちらかを私の足背に載せるくらいだった。心地よい脚の重みと温もりが彼とのつながりを実感させてくれたが、しかしそれは長い時間ではなかった。数分もするとその重さはす−っと無くなり、「どうぞ、ゆっくりしていってね」と、彼は指定席であるラウンジのソファーヘと消えて行った。入江一家と尾白川へ遊んだ時も、フォンデュー鍋を囲む私たちを尻目に、彼はいつまでも水に入ったり出たりと遊んでいたのだった。

 「犬が人間にとって本当にかけ替えのないもの、生の同伴者といった存在になるのは、犬が老い始めてからだ。子犬のころ、若犬のころはただそれだけで楽しい生きものだが、老いの徴候をいやおうなく見せだしたあと、彼はなにか悲しいほど切ない存在になる。体をまるめて眠っている姿を見つめていると、‘生ハ悲シ’といった思いがふつふつと湧い てくるようである」(中野孝次『ハラスのいた日々』より)

 犬の年は人間の7倍早く過ぎるから、子犬が家族の一員となった場合、幼犬の時は子守を、成犬の時はパートナーとして、そして老犬の時には介護と見送りをしなければならない。もちろん人間の場合も子供を持てば育てるのは当然だし、両親の介護や見送りも避けては通れない。ただ犬の場合はその一代を通しての関わりに対して、人間の場合は子育てと介護・見送りは「子と親」という関わりとなる。子の成長と親の老化に対しては常に等距離にあり、子に追い越されたり、親より早く死ぬということは(普通は)ない。ところが犬の場合は幼犬・成犬・老犬とその速やかな時の流れに関わるため、否応なく老化を直視して「犬は犬 我は我にて果つべきを 命触りつつ睦ぶかなしさ」(平岩米吉『犬の歌』)と、‘生ハ悲シ’を実感する。
 「・‥そんな若かった君が好きだった」から「・・・そんな老いた君が大好きだった」へと謳われた冒頭の詩は、その悲しみが限りない「いとおしさ」に代わって生まれた珠玉の思いといえまいか。

 犬として死に行く犬の老姿
おいすがた ひたに見つめてわれはありけり
 あたたかき舌を触れつつ我が掌
より もの食はむ日々もはやつきんとす
 わがそばにありて縁
えにしのつくるまで 静かに生きよ腰は萎えるとも
 
 これらは死を間近にひかえた犬への思いをうたった歌(『犬の歌』より)だが、入江夫妻の写文集の闘病記を歌にすればまさにこのようになるだろう。文事の形は違っても、死近き犬を思う人の気持ちに変わりはあるまい。
 人と犬が信頼という太い絆で結ばれ、人畜の垣根を越えて一体となって過ごした幸せの日々の果ては、会者定離
えしやじょうり、つまり会うものは必ず別れなければならないという運命の掟であった。「どんな幸せな夫婦も最後は悲劇に終わる」ように、世はまさに無常である。しかしジュンと共に過ごした12年弱の歳月、彼から与えられた様々な幸せを思えば、それらがどのくらい大切で貴重、得難いものであったか、入江夫妻にとってジュンのいなかった人生は考えられまい。闇があるからこそ明るさが一層輝くように、たくさんの幸せをもらったからこそジュンを失った悲しみは深く大きい。だからこそ「この悲しみは幸せだった時の一部分」なのだ。
 ジュンを亡くした傷心の日々、入江夫妻はたまたま一篇の詩「千の風になって」(新井満)に出会った。

私のお墓の前で泣かないでください
眠ってなんかいません
そこに私はいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ  冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって      あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって      あの大きな空を 吹きわたっています
           あの大きな空を 吹きわたっています

死者が書いた〈スタイルの)この詩は「私は死んでなんかいない、千の風になって吹きわたっているんだ」と、残された人に消えることのない魂がいつも見守っていることを謳っている。空や海、草原、虹など透明感あふれる風景写真をバックに、詩句の一フレーズづつが記されたページを繰っていくと、ちょうど真ん中あたりで突然‥・、そう、それこそ突然にジュンが現われる。草原に幼いジュンが座って「私のお墓の前で 泣かないでください」と、じっと正面を見据えているのだ。思わず息を飲む、どうしてここにジュンがいるのだと・・・。
 実はこのジュンは本当のジュンではない。年格好そっくりのゴールデン・レトリーバーの子犬だ。詩の内容と写真の偶然の一致に、入江夫妻の驚きはいかばかりであったろうか。つぶらな瞳のジュン(と見紛う子犬)に泣かないでとじっと見つめられれば、いつまでも泣いてなどいられまい。そう、この写文集『for JUN』は、ジュンの慰めと励ましによって生まれるべくして生まれたのだ。


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